「心臓病」と診断されて途方に暮れている飼い主様も多いでしょう。犬の心臓病は10歳以上の小型犬の死因の上位を占める深刻な疾患ですが、ステージに応じた適切な治療を行えば、症状を長期間抑制しながらQOL(生活の質)を維持することができます。
この記事では、犬に最も多い心臓病である僧帽弁閉鎖不全症(MVD:Mitral Valve Disease)を中心に、ステージ別の治療方針・薬・費用・手術について獣医師監修のもとで詳しく解説します。
犬の心臓病の75〜80%はMVD(僧帽弁閉鎖不全症)です。
ACVIM 2019ガイドラインでステージB2では積極的な投薬開始が推奨されています。
2019年のACCORDトライアルでピモベンダンがB1→充血性心不全への進行を15ヵ月遅延させることが証明されました。
ステージCではACE阻害薬・ピモベンダン・利尿薬の3剤併用が標準治療です。
外科的弁修復術は根治に近い治療ですが、費用は200〜500万円と高額です。
犬の心臓病(MVD)とは:ステージ別の病態
MVDとは、心臓の僧帽弁(左心房と左心室の間の弁)が変性・肥厚し、血液が逆流する疾患です。チワワ・ポメラニアン・マルチーズ・キャバリアKCSなど小型犬〜中型犬に多く、10歳を超えると多くの犬で何らかの程度の僧帽弁変性が認められます。
ACVIM(アメリカ獣医内科学会)が2019年に発表したガイドラインでは、MVDをA/B1/B2/C/Dの5ステージに分類しています。
ステージA(リスク犬種・無症状)
MVDを発症しやすい犬種だが、まだ心臓に異常がない段階。治療不要。定期的な心臓健診(年1回)を推奨します。
ステージB1(無症状・心臓の拡大なし)
心雑音はあるが、心臓が拡大していない段階。
- X線で心臓の拡大なし
- 症状なし(咳・呼吸困難・運動不耐性なし)
- 定期的なモニタリング:X線・心エコー(超音波)を6〜12ヵ月ごと
- 治療:不要。5〜10年間この段階を維持する犬も多い
ステージB2(無症状・心臓の拡大あり)
心雑音があり、心臓が拡大しているが、まだ症状のない段階。2019年のACCORDトライアルにより、ピモベンダンの早期投与が推奨されるようになりました。
- X線での心臓拡大(VHS≧10.5以上)
- 心エコーでの左心房拡大(LA:Ao≧1.6以上)
- 3〜6ヵ月ごとのモニタリング継続
ステージC(充血性心不全)
肺水腫などの症状が出現した段階。
- 充血性心不全(CHF)を発症した状態(咳・呼吸困難・運動不耐性)
- 最初に入院が必要になることが多い
- ステージCの治療が奏効すれば、多くの犬が3年以上生存
ステージD(難治性心不全)
標準治療に反応しない最重症段階。
- 最大量の薬でも症状がコントロールできない
- 緩和ケア・QOL維持が主な目標となる
- 酸素吸入(在宅酸素)を導入するケースも
B1:月5,000〜10,000円(定期健診のみ)
B2:月15,000〜30,000円(ピモベンダン+定期健診)
C:月25,000〜50,000円(3剤+定期健診+緊急対応)
D:月50,000〜100,000円(多剤+在宅酸素等)
ACCORD試験とステージB2への投薬開始
2019年に発表されたACCORD試験(A Canine Cardiac Outcomes Randomized Design trial)は、MVDのB2ステージにおけるピモベンダン早期投与の有効性を証明した画期的な研究です。
ACCORD試験の概要と結果
B2ステージのMVD犬360頭を対象に、ピモベンダン投与群とプラセボ群を比較した前向き試験です。
結果:ピモベンダン投与群はプラセボ群と比較して、充血性心不全への進行を平均15ヵ月遅延させることが示されました。
臨床的意味:症状が出る前からピモベンダンを投与することで、飼い主様が愛犬と過ごせる健康な時間を平均1年以上延長できることが証明されました。
ステージB2とACVIM 2019ガイドラインの投薬基準
以下の全ての条件を満たすB2犬にピモベンダンの投与が推奨されます。
- X線:椎体心臓スコア(VHS)≧9.3、または左心房径:大動脈径(LA:Ao)≧1.6
- 心エコー:左室内径(LVIDDN)≧1.7
B2ステージでもX線・心エコーの数値が上記基準を満たさない場合は投薬不要です。
数値が境界域の犬は3〜6ヵ月ごとのモニタリングで変化を確認します。
ACE阻害薬のB2への適応(現状)
B2ステージへのACVIM 2019ガイドラインではB2段階でのACE阻害薬投与は推奨していません。ただし、ACE阻害薬はステージCの標準治療に含まれます。
MVDの主要な治療薬
ピモベンダン(ベトメディン)
MVDで最も重要な薬の一つです。
- 作用:心筋収縮力の増強(陽性変力作用)+血管拡張(後負荷軽減)
- 投与量:0.25〜0.3mg/kg を1日2回(朝夕・食前30分)
- 対象ステージ:B2(ACCORD基準を満たす)・C・D
- 特徴:心拍出量の改善と症状のコントロールに非常に有効
- 副作用:比較的少ない。心拍数増加・嘔吐が稀に見られる
小型犬(5kg):月1,250円〜2,500mg/錠換算で月約5,000〜8,000円
中型犬(10kg):月約8,000〜15,000円
(医薬品のため動物病院での処方が必要)
ACE阻害薬(エナラプリル・ベナゼプリル)
ステージC以上の標準治療薬です。
- 作用:アンジオテンシン変換酵素(ACE)を阻害し、血管を拡張させて心臓の負荷を軽減
- 対象ステージ:主にC・D(B2ではACVIMガイドラインは推奨していない)
- 副作用:低血圧・腎機能への影響(血中クレアチニン・BUNの上昇)。腎疾患を持つ犬では慎重投与
利尿薬(フロセミド・スピロノラクトン)
充血性心不全(肺水腫)の治療に不可欠な薬です。
- フロセミド(ラシックス):ループ利尿薬。肺水腫の急速除去に使用。1〜2mg/kg 1日2〜3回
- スピロノラクトン:カリウム保持性利尿薬。フロセミドによるカリウム低下の補正と相乗効果
- 副作用:電解質異常(低カリウム・低ナトリウム)・多飲多尿・腎機能低下
- 投与中は:血液検査(電解質・BUN・クレアチニン)を2〜4週ごとにモニタリング
ステージCの標準治療(3剤併用)
| 薬剤 | 主な作用 | 費用目安(月) |
|---|---|---|
| ピモベンダン(ベトメディン) | 心筋収縮増強・血管拡張 | 5,000〜15,000円 |
| ACE阻害薬(エナラプリル等) | 血管拡張・腎保護 | 2,000〜8,000円 |
| フロセミド(ラシックス) | 利尿・肺水腫除去 | 1,000〜4,000円 |
| スピロノラクトン(必要時) | K保持性利尿・心肥大抑制 | 1,000〜3,000円 |
| 合計目安 | 薬代+定期健診 | 25,000〜50,000円/月 |
MVDの外科的治療:僧帽弁修復術
近年、日本国内でも僧帽弁修復術(Mitral Valve Repair)が実施されるようになり、薬物療法では達成できない根治に近い治療が可能になっています。
手術の概要と成績
- 人工心肺を使用して僧帽弁を修復する開心術
- 日本では数施設の二次診療施設・大学病院で対応可能
- 手術成功例では長期間(3〜5年以上)の良好なQOLを維持
- 最適な手術時期:ステージB2〜C(まだ心機能が比較的保たれている段階)
費用と適応条件
- 費用目安:200〜500万円(施設・犬の体格により異なる)
- 体重制限:多くの施設で5〜25kg(体格によって異なる)
- 手術リスク:全身麻酔・人工心肺使用による合併症リスク(10〜20%)
- 手術前にCT・心エコー・カテーテル検査等の精密検査が必要
心臓病の犬の日常管理
食事管理
- 減塩食:心不全では過剰な塩分が体液貯留を悪化させる。ステージC以上では積極的に心臓病処方食を使用する
- おすすめ処方食:Hill's Prescription Diet h/d、ロイヤルカナン心臓サポート
- 利尿薬使用中は水分を十分に摂取できる環境を整える
- 人間の食べ物(特に塩分の多いもの)は与えない
運動管理
- ステージB1〜B2:適度な散歩(一般的な日常運動)は可能
- ステージC:散歩は短め・ゆっくり。走ったり長距離は避ける
- ステージD:基本的に安静。興奮させる活動は最小限に
- 息が上がる・咳き込む・チアノーゼ(歯茎が青白い)が出たら即座に安静にし受診する
定期モニタリング
心臓病は進行性のため、定期的なモニタリングが予後を大きく改善します。
- 胸部X線:心臓サイズ・肺の状態の確認(2〜6ヵ月ごと)
- 心エコー(超音波):弁逆流の重症度・心臓機能の評価(6〜12ヵ月ごと)
- 血液検査:腎機能・電解質(利尿薬使用中は1〜3ヵ月ごと)
- 自宅での安静時呼吸数モニタリング:30回/分以上が続く場合は緊急受診
急性心不全・肺水腫が起きたときの対処
肺水腫(肺に水が溜まった状態)は緊急事態です。以下のサインが見られたらすぐに動物病院に連絡してください。
- 突然の激しい咳・呼吸困難:安静にしていても呼吸が荒い
- 口を開けて呼吸:犬は通常口を開けて呼吸しない(緊急サイン)
- 歯茎・舌が青白い(チアノーゼ):酸素不足の重篤なサイン
- 起き上がれない・虚脱:心拍出量の著しい低下
肺水腫は数時間で致命的になりえます。
上記のサインが見られたら、かかりつけ医が閉まっていても夜間緊急病院に連絡してください。
搬送中は愛犬を抱きかかえて胸を圧迫しないよう注意します。
到着後は酸素吸入・フロセミドの緊急投与が行われます。
MVD・心臓病の治療費・費用まとめ
| ステージ | 月額薬代 | 検査費(年間) | 備考 |
|---|---|---|---|
| B1 | 0〜5,000円 | 30,000〜60,000円 | 定期健診のみ |
| B2 | 8,000〜20,000円 | 40,000〜80,000円 | ピモベンダン投与開始 |
| C(初回入院) | 25,000〜50,000円 | 50,000〜150,000円 | 入院時に別途10〜30万円 |
| D | 50,000〜100,000円 | 60,000〜200,000円 | 在宅酸素・緊急対応含む |
心臓病が進行してからの治療費は月5〜10万円を超えることも珍しくありません。ペット保険に加入済みの場合は、心臓病の治療費が補償対象かどうか事前に確認しておくことをお勧めします(既往症は補償外のケースが多いため、早めの加入が重要です)。
参考文献・参照ガイドライン
この記事は以下の文献・ガイドラインを参考に獣医師監修のもと作成されました。
- Boswood A, Häggström J, Gordon SG, et al. Effect of Pimobendan in Dogs with Preclinical Myxomatous Mitral Valve Disease and Cardiomegaly: The EPIC Study–A Randomized Clinical Trial. J Vet Intern Med. 2016;30(6):1765–1779.
- Keene BW, Atkins CE, Bonagura JD, et al. ACVIM consensus guidelines for the diagnosis and treatment of myxomatous mitral valve disease in dogs. J Vet Intern Med. 2019;33(3):1127–1140.
- Atkins C, Bonagura J, Ettinger S, et al. Guidelines for the diagnosis and treatment of canine chronic valvular heart disease. J Vet Intern Med. 2009;23(6):1142–1150.
- Häggström J, Boswood A, O'Grady M, et al. Effect of pimobendan or benazepril hydrochloride on survival times in dogs with congestive heart failure caused by naturally occurring myxomatous mitral valve disease: The QUEST study. J Vet Intern Med. 2008;22(5):1124–1135.
- Gordon SG, Piercy RJ. Myxomatous mitral valve disease in dogs. In: Ettinger SJ, Feldman EC, Côté E, eds. Textbook of Veterinary Internal Medicine. 8th ed. Elsevier; 2017:3045–3063.
よくある質問(FAQ)
犬の心臓病(MVD)と診断されたらすぐに薬を飲ませますか?
ステージによって異なります。ステージB1では治療不要で定期健診のみです。ステージB2でもACVIM 2019ガイラインの条件(X線・心エコーの数値)を満たさない場合は薬は不要です。条件を満たすB2ではピモベンダンの投与が推奨されます。ステージC以上では複数の薬による治療を開始します。
ピモベンダン(ベトメディン)を食前に与えるのはなぜですか?
ピモベンダンは食事と同時・食後に与えると吸収が低下します。食前1〜2時間(少なくとも30分前)に投与することで血中濃度が安定し、最大の効果が得られます。食前投与が難しい場合は担当獣医師に相談してください。
心臓病の犬はどのくらい生きられますか?
ステージと治療への反応によって大きく異なります。B1〜B2段階であれば適切なモニタリングと治療で5年以上生きる犬も多くいます。ステージCでピモベンダン+ACE阻害薬+利尿薬の3剤治療が奏効すれば、CHF発症後も平均1〜3年の生存が報告されています。早期診断・適切な治療・定期モニタリングが予後を最大化します。
心臓病と診断されたらペット保険はどうすればいいですか?
既に心臓病と診断されている場合、多くのペット保険は心臓病関連の治療費を補償外(既往症)とします。診断前に保険に加入していた場合は補償される可能性があります。保険に未加入の場合、まだ診断が付いていないうちに加入することも選択肢の一つです。各保険の約款を事前に確認してください。
犬の心臓病に心臓病専門医は必要ですか?
一般開業医でも適切なMVDの管理は可能です。しかし「B2基準の判定が困難」「治療への反応が乏しい」「手術を検討している」「急性増悪を繰り返す」などの場合は、循環器専門の二次診療施設への紹介を担当医に相談することをお勧めします。